基調講演

「開かれた世界、開かれた心、開かれた社会」

林 晋(京都大学)

日時:9月20日(土) 13:00-14:00
会場:吉田南総合館(南棟) 共南11講義室

要旨

本大会のテーマは「社会情報学と自由―「開かれた社会」の今を考える―」である。この「開かれた社会」という言葉を最初に使ったのはフランスの哲学者ベルクソンである。

彼は「道徳と宗教の二つの源泉」で、安定を求めて変わろうとしない「閉じた道徳・宗教」から、不安定ではありながら「無限に開かれている道徳・宗教」へ飛躍すべきだと説き、開かれた道徳・宗教に基づく社会を「開かれた社会」と呼んだ。1932年のことである。

その翌年にはナチ党がドイツの政権を得て、1937年にはオーストリアを併合する。そして、それを逃れウィーンからニュージーランドに脱出したユダヤ系哲学者カール・ポッパーが著したのが「開かれた社会とその敵」(1945)だった。

ポッパーはベルグソンを意識しつつも、道徳・宗教ベースの「開かれた社会」を、宗教や神秘と無縁の政治的概念として定義し直した。そして、その敵とは、プラトン、ヘーゲル、マルクスと、その追随者だったのである。

知的巨人が、計画的に社会と個の関係をコントロールする社会は、その巨人のコントロールが、いかに「合理的」なものであっても全体主義だというのである。ポッパーは個人が政府の誤りを指摘できるような社会を「開かれた社会」と呼んだ。

この様な違いにも拘わらず、このベルグソンとポッパーには大きな共通項があった。ポッパーが哲学者プラトンを敵とした様に、「開かれた社会」の最大の敵は、個(人)の「閉じられた心」、つまり、静的安定と無変化、変化のない永遠を志向する精神なのである。

この一見、本大会のテーマでいう「開かれた社会」とは関係が無い様にみえる歴史にこそ、現代日本におけるITと社会の関係、特にITを通しての「開かれた社会」を目指すための重要な鍵が潜んでいる。ITほど社会的な技術は珍しいからである。また、社会の基本は「個の連続的集団」だからである。

講演で歴史学的に示すように、ITが生まれたから社会が変わったのではない。近代資本主義が自身のためにITを生んだのである。ITとは社会学者ウェーバーが、その分析に生涯をかけた近代資本主義を達成するための技術だったのである。そして、その近代資本主義は、本質的に「開かれた社会」だった。

Google などを生み出したアメリカ合衆国と違い、我が国で新しいIT技術応用や、「開かれた社会」を実現することは実に難しい。それは、この国で「開かれた社会」を模索した、すべての人が経験したことだろう。私の基調講演では、その理由を歴史社会学的に分析して示すことにより、この閉じた日本で「開かれた社会」を模索する総ての人への応援としたい。